歴史

当店の歴史を少しご紹介いたします。

個人的に歴史が長いからといって
現在の店がスゴイという風には全く思いません。

歴史は常に流れております。
時代時代のニーズに合わせたお店こそ求められるお店。

ただ洗濯屋として受け継がれたDNAは存在すると思います。
今のお店があるのは、先代から大切にしてきたモノが存在するからなんですね。

ここでは当店の歴史を振り返ります。
ご興味のある方は、少しお付き合いくださいませ。

当店の始まりは実は大正時代に始まりました。

和歌山出身の曾祖父さんが神戸に丁稚奉公でクリーニングを修行し、やがて姫路にて独立。
今の朝日町に店舗を構えました。その名も『亀屋』

写真からもご覧になって頂ける通り、「クリーニング店」という名前でなく、「洗染店」。
職人も多く、配達のスタイルも自転車で行っていたようです。

真ん中のオチビさんが実は、私のお祖父さん。
このアップの写真がそうです(笑)。

西洋の文化が定着すると共に、西洋の服を洗うお店として商売を展開していったようです。

やがて戦争がはじまります。姫路の街も焼野原となりました。
国民は贅沢するどころではありません。

戦後、復興していく最中、うちの祖父と祖母が飾磨の港にて独立。
店舗名を「米井洗染店」として新たに商売をスタートさせました。

復興と共に商売も徐々に持ち直し、クリーニングという需要も伸びてまいります。
写真はうちの祖父と祖母がメインとなって営業していたころのものです。

この写真の女性がうちのお祖母さん。なかなかの美人だな…(汗。外人っぽい…。

看板には、洗い張り、ゆのし、染色一式とか書いてますね。
もちろん今でも出来ますよ(汗)。

右の写真は、何社かが合同で行っていた会社です。
多くの職人がプレスを競い合うようにかけております。
やがて飾磨区天神の場所に移動。「米井ランドリー」という名前となりました。

この写真は、私…ではなく(笑、私の父。

ドライクリーニングという看板があるように
各お店でドライクリーニング機械を設置することが始まったようです。

この場所での営業は私の小さいころまで続きます。

この写真はうちの祖父が配達に使っていた車です。配達スタイルは、当店の歴史でもあります。
映画「三丁目の夕日」にも登場した1950年代を象徴する車が軽三輪トラックであるミゼット
ものすごくかっこ良くて惚れますなぁ~。

やがて店舗の老朽化と共に、今の飾磨区須加の店舗へと移動。
店舗の名前は「米井クリーニング」(途中でクリーニング米井へw)

天神の店舗は今や駐車場に。なんか前を通ると昔を思い出します^^。

代も3代目となり、うちの父親がメインとなって、
より集配スタイルを確立させていきます。

そして今。

私が4代目となり、昔からの良い部分を存続、そして新たなチャレンジをミックスし、「ヨネイクリーニング」がスタート。

昔ながらのクリーニング店ならではの雰囲気と
今までにない新たな試みの数々を行っています。

最初にも申しましたが時代は大河のように流れております。
同じ流れはありません。

わたくしどもは、その流れに合わせ、
いつもキレイな清流を目指し、
お客様にとって、
なくてはならない存在の店舗を目指します。

これからも当店をどうぞ宜しくお願いいたします。
長文お付き合い頂き、まことにありがとうございました。

Yoneicleaning 代表: 米井 敏進